つれづれ味わい日記

都内で働く3男児母の備忘録。暇さえあれば本読んでます。

今週の読書記録(190415)

「女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言」三砂ちづる(著)

「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」三砂ちづる(著)

「私憤から公憤へ-社会問題としてのワクチン渦」吉原賢二(著)

「5歳からの哲学-考える力をぐんぐんのばす親子会話」ベリーズ・ゴート(著)、モラグ・ゴート(著)、高月園子(訳)

 

寄せ集めの四冊ですが、偶然にも親としての在り方を考えさせられる本ばかりでした。

 

キャリア、お金、自分の時間、結婚、子育て…日本の女性はどれを選ぼうか、大事にしようか、選べる自由を持っている。自由とは必ずしも幸せなことだろうか?と三砂先生は投げかける。「女として生きても生きなくてもどっちでもいい」、本能に背く生き方に辛さを覚える女性も結構いるのではないかと。女性として生きること(生理とか性体験とか妊娠とか出産とか)は面倒なことでもしんどいことでもなく、自分自身に向き合い、軸を整え、その都度一皮も二皮も脱皮しぶれない人間になっていく、貴い機会であること。こういった機会の積み重ねが子育てやしつけ(人間として生きていくことのルール、と表されていてなるほど!と思った)のベースとなる「人間に対する思いやり」につながってくるんじゃないかと。

いろんなことが書かれていて、印象に残ったパートだけ抜粋したのが上の文章ですが、私は妙に納得しました。長男を産み、次男を産み、慌ただしく子どもを育てる日々のなかで私は生きる知恵をつけ、考える機会が増え、「今の自分にできること」に対して行動してみる積極性や社会性がついたと思います。出産体験と「子どもたちが生きていく世界が、より良いものであってほしい」という当たり前な想いがこれらの源になっていることはたしかだし、人生のターニングポイントになっている。特に次男出産時は長男の時よりも落ち着いて、意識を自分自身の身体やお腹の中の次男、宇宙、と書いてしまうとあまりに神秘的だけど自分以外の空間に向けることができた。その空間の中に夫や長男もいて、温かい雰囲気漂う中私の中から底力がどんどん湧いてきて次男が産まれ、ものすごく心地よい時間だったな~って思い出すだけで幸せな気持ちになる。産んだ直後にもう一回体験したい、と思ったのはこんなところからかもしれない(二人育児でてんやわんやしているし、予定はないけれど)。

 

大きなことは成し遂げられないけど、吉原さんの言葉を借りるなら「弱いようで強い、愚かなようで賢い」生き方を子どものためにしたい。三砂先生、吉原さんの本を読んだらできる気がしている。

 

「5歳からの哲学」は義母に教えてもらったもの。5歳くらいの子どもと一緒に動物のエピソードを読みながら、どう思う?なんで?こういうときはどう?を考えられる本。判断する物差しはいろいろあるし、答えが一つ、白か黒か、0か100か、敵か味方か、で語れないことがほとんど。グレーなことばかりだからこそ、自分の信条や立ち位置を表して線引きをする、それを表す力と、自分以外の物や人のことを想像できる力をつけたいなと思う。

例えば親なら誰もが子どもには勇敢になってほしいと願うと思うけど、勇敢が過ぎると「自信過剰」だし、足りないと「臆病」だとなってしまう。また場面場面で「勇敢な行動」の最適解も違う。やっぱりそこは、場数なのかなと思う。「自信過剰」になってみたり「臆病」になってみたり、まずはそんな自分をさらけ出して、自分のことを客観視してみて、チューニングしながら本当の「勇敢者」に近づいていけるのかなと。私もそういう人間になりたいし、そんな子どもになるようフォローもしていきたいと思いました。