つれづれ味わい日記

都内で働く3男児母の備忘録。暇さえあれば本読んでます。

今週の読書記録(190729)

おはようございます。

 

ねじまき鳥クロニクル村上春樹(著)

上中下巻、三冊読みました。村上春樹、相変わらず面白い(ムラカミワールドひと段落しましたが、おすすめあったら教えてください)。長いストーリーの中で一番印象に残ったのが「世界のどこに一貫性があるのか」「自分という人間は結局のところ何かの外部の力によって定められて生きているのだ」という話。

論理を求めたくなるときもあれば、そういうものでは説明できないハプニング性や巡りあわせがしっくり来るときもあって。うちの母が「なるようになる。」「見えないところでも良い行いを続けていると良い結果が得られるし、逆もしかり。何かと繋がってる。」みたいなことを良く言う(スピリチュアルっぽい)人なので「何か外部の力」を感じてきたこともある。

AがBに変わるときも単純にA→Bではなくて、自分でもAの存在を忘れてしまうようなA↗↘↗↘…巡り巡って気付いたらBみたいなことがあるから、不思議で面白い。

そのような状況下で私ができることと言えば時間を味方につけて「自分自身の人生を豊かにする」「自分自身どうなりたいか」を考えて一つ一つ実行することなのかなと。

 

お伽草紙太宰治(著)

保育園のお母さん友達に「村上春樹を最近読んでいる」と話したときに、「私はこれが好きですよ~よければ」と教えてもらった一冊です。「ううう、太宰治か…ハードル高い…」と思ったのですが、かなり読みやすい、親しみやすい太宰治作品をチョイスしてくださったんだと思います。

瘤取りじいさん、カチカチ山、浦島太郎、舌切り雀といったお馴染みのおとぎ話が太宰治流に語られているのですが、人間らしさ(渋み、苦み、うま味的なもの。大人になったらわかるもの、といったら伝わるだろうか)が感じられてすごく面白い!

中でもしびれた言葉が二つほどあるので紹介します。どちらも浦島太郎から。

「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢゃないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思ってゐる。」

「あのかたは、何も孤独ぢゃありませんよ。平気なものです。野心があるから、孤独なんて事を気に病むので、他の世界の事なんかてんで問題にしてなかつたら、百年千年ひとりでゐたつて楽なものです。それこそ、れいの批評が気にならない者にとつてはね。」でしょうか。

 

今週末はまた、どこも行かず近場でゆっくり。

近所のお友達と公園で遊んで、お昼ご飯を近くで食べて「絶対帰らない!」とお友達にべったりだった長男は単身でお友達宅へ。お風呂に入れてもらい夕方までノンストップだったそう。

相変わらず平日激務だった夫は次男とバタンキュー。20時台に一家就寝で、何もないけど何もなくても楽しい週末でした。