つれづれ味わい日記

都内で働く3男児母の備忘録。暇さえあれば本読んでます。

240609今週の読書記録

おはようございます☀

 

先週末は知人に誘われ「フレンチ交流会」へ🇫🇷

フランス人留学生と一緒に、ラタトゥイユやクレープを作ってきました!

幼児〜中学生の子どもたちが20人以上、+パパママでとても大所帯でしたがうちの三兄弟も張り切ってお野菜を洗ったり切ったり。

写真はクレープの具になるバナナを切っている長男。

3歳の三男が一番調理の関心高く、トマトを猫の手でおさえて頑張って切ってました🍅

 

 

今週は3冊です📚

「100歳までボケない101の方法 実践編 長寿者9人のアンチエイジング」白澤卓二(著)

タイトルに惹かれて読んでみたのですが、元気なシニアの方へのインタビューはとても面白かったです。

 

印象的だったのは「長寿は遺伝的要因よりも環境的要因(老化に占める遺伝的要因の割合は25%)」「長寿に必要なのは食事・運動・生きがい」ということ。「生きがい」を見つける、ずっとそれと向き合う、という機会獲得が一番難しいかもしれませんね。

 

 

「しあわせの哲学」西研(著)

NHK出版の「学びのきほん」シリーズは初めて手に取った気がします。さまざまな哲学者の教えをところどころ引用しながらの解説が、とても分かりやすいです。

 

キルケゴールは「死に至る病」で「人は可能性があるから生きていけるもの」だと表しています。

気絶した人があると、水だ、オードコロンだ、ホフマン滴剤だ、と叫ばれる。しかし、絶望しかけている人があったら、可能性をもってこい、可能性をもってこい、可能性のみが唯一の救いだ、と叫ぶことが必要なのだ。

可能性を与えれば、絶望者は、息を吹き返し、彼は生き返るのである。なぜかというに、可能性なくしては、人間はいわば呼吸することができないからである。

人生の充実には「可能性(できそうと思えること)」と表すのがいいのか「希望」と表すのがいいのか分かりませんが、その類の想い(したい、かつ、できる、という「生の可能性」)が不可欠ということがよくわかります。

このとき、したい(欲望)とできる(能力)のバランスというのも非常に重要、とルソーは言っています。欲望>>>>>能力では苦しくなりますよね、と。

 

首から下が動かなくなってしまったチンパンジーが事故のあとも陽気さを失わず、いたずらを繰り返していたというエピソードも印象的です。人間は「いま・ここ」だけで生きていないので、このような状況で落ち込まず、以前と変わらず、はとても難しいように思います。

 

またバタイユが説いた「人は自分が死んでしまわないように未来への配慮をする、それが労働というものだ」というものも興味深いです。狩猟採集社会から「この種を土に蒔けば、また生えてくる」という気付きによって「未来への配慮=労働」が始まったといわれます。計画的に動くことや未来を見据えること、律することでの我慢も生まれた、と。個人的に「環境を汚しながらしか私たちは生きていくことができない(労働においても)」と考えているところがあるので、労働の起源や考え方については目からウロコでした。。

 

また西さんが承認を「愛情的承認」と「評価的承認」とに分けて説明をしていました。「愛情的承認」は自発性と自由の基礎になり、幼少期が特に重要。安心感や、生き生きとした対話関係を実現するために不可欠な基礎となります。「評価的承認」には「役割関係における承認」「競争関係における承認」がありますが、どちらも「自己価値」を認めてもらうのに重要としています。

大事なのは「愛情的承認」をベースに、社会を広げていくにあたり「評価的承認」の世界を広げていく、という成長のしかた。「評価的承認」の中でも「競争関係のもの」から「役割関係のもの」に軸足を移していけると、生きていくうえでの満足度に効果的そうです。

 

 

深夜特急4 シルクロード沢木耕太郎(著)

4巻まできました!パキスタンの映画館で警察に乱暴された事件(爆弾犯に間違えられた事情がわかって少しホッと、、もしないですが)など、異国の地でそんな目に遭ったら恐ろしいなぁとか、人への興味や親切が煩わしくなってくるのは危険信号なのだなとか。いろいろな異世界のスタンダードに触れているうちに、黒か白か、善か悪か言い切ることが難しくなってくる、という。無限の「しかし…」が連ねられるようになるのはネガティブ思考ではなくて、自分の知っている世界が広くなる、寛容になれてくる証なのかもしれませんね。