つれづれ味わい日記

都内で働く3男児母の備忘録。暇さえあれば本読んでます。

今週の読書記録(211205)

おはようございます☀寒いですね〜❗️

今週は寒いながらも週3日朝ランできた(最近2回が続いていた)ので、頑張ったな〜と褒めてあげたい。

ぼーっと深く考えずに走るのですが、それでも考え事が捗ったり、ひらめきや思い出すことかあったり、早朝というのもスッキリして非常にいい時間なんですよねぇ。

 

写真は近所のカレー屋さんに行ったときのもの。カレーに顔がある!!と長男次男が大発見大喜びだったものです。これをふっと見つけていつまでもケタケタ笑える、二人で分かち合える感性がいいなぁと思います。

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さて、今週は5冊です📚

「魔法の学校 エンデのメルヒェン集」ミヒャエル・エンデ(著)、矢川澄子他(訳)

短編集です!「ほんとうに望むことができるのは、できると思うことだけ。できると思うことは、自分の話にあうことだけ。自分の話にあっているのは、ほんとうに望んでいることだけ。」という「望む力」の規則が強烈であり優しい「魔法の学校」、家族との想いのすれ違いがひと波乱起こして、苦楽を共有した末に美しくおさまる「レンヒェンのひみつ」、「自分はなんのために生きているのか?」哲学の旅に出て逞しく帰ってくる「テディベアとどうぶつたち」が特に好きです。これはわが子たちとも読みたいです。

 

 

 

宮沢賢治童話集 珠玉選 セロひきのゴーシュ」宮沢賢治(作)、太田大八(絵)

「新版・注文の多い料理店宮沢賢治(作)、佐藤国男(画)

先週読んだ「科学者が人間であること」で自然観があり科学を見つめていたと挙げられていた宮沢賢治。読みたくなって借りてみました。宮沢賢治にはこれまでも少し触れています。

 

先週の読書記録。

rmoryrim.hatenablog.com

 

宮沢賢治に触れている過去の読書記録。

rmoryrim.hatenablog.com

rmoryrim.hatenablog.com

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宮沢賢治童話集 珠玉選 セロひきのゴーシュ」は「セロひきのゴーシュ」のほかに「どんぐりと山猫」「貝の火」「グスコーブドリの伝記」が収録されています。

貝の火」を読んだのは2回目ですが、深いです。持ちすぎると本当に大切なものや身の丈がわからなくなってしまう心、親の偉大さを感じます。

「科学者が人間であること」で挙げられていたのは「グスコーブドリの伝記」ですが、こちらもなんとも。自然の中の自分たち、支配でなく共存、一体感を意識できないと、いつまで経っても違和感から逃れられず幸せになれないような気がします。

 

注文の多い料理店」は「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」「ほらくま学校を卒業した三人」が収録。「ほらくま学校を卒業した三人」もなんとも、社会を痛烈に映しているというか。最後の恩師(ほらくま先生)の「ああ三人ともかしこいいい子どもらだったのに、じつにざんねんなことをした。」といいながら大きなあくびをするシーンは印象的です。知性を誰かのためにも使えないと、残念なことになりますが、とはいえ世の中は何事もないように流れていくし、連鎖は止まらないことを感じます。

 

 

 

「日本人はなぜ「科学」ではなく「理科」を選んだのか」藤島弘純(著)

こちらも「科学者が人間であること」で挙げられていたものです。

日本人は雨と森に恵まれ、移りゆく四季や無常が感じられ、自然災害と対峙することも多いことから独特の自然観(自然をあるがままに受け入れ、自然(神)とともに命が永遠に生きる輪廻の思想)を持ち、農耕も身近な生活であった。生きることの厳しさ、を体感したうえで自然へ挑戦することで生きる道を開く。そこには支配といった概念はなく、自分たち人間も動物の中の一員であり、自然の一部であるという意識があったはず。そのため教育としての「理科」が進められなくとも「科学」的な目はかなり秀でていたというもの。

環境が変わり、科学技術が進むことの良い面ばかりでなく、失われがちな、軽視されがちなことにも目を向けなければという危機感を感じます。それは目に見えないもの、非合理的なもの、再現性が不確定なものを認めることであったり、科学を自然のなかに見出す、自然を愛することや自然に親しむこと、科学も自然も動的なものだと捉えることであったり。理科離れが起きてしまうのも、こういったところ、見つめる機会や見つめられる自然が少なくなっていったことが発端のように感じます。「わかった」があってはじめて「理解(納得)する」ことができる(知的欲求の満足)ということも肝に銘じなければいけません。「わかって嬉しい」「もっともっと」と思えることが、子どもも大人も重要な気がしてなりません。教育する立場の者は、何を(教育内容)、何で(教材)、どう教えるか(教育技術)を追究する必要があります。

日本庭園や盆栽にみられる「人工」と「自然」の二律背反の心という話も印象的です。学校理科で合理の精神を学びながらも、家庭では不合理と合理の共存の世界に子どもは生きた。だから日本人的自然観と自然科学的自然観の共存ができた、矛盾がなかったということ。学びながらの実践がかなう生活がそこ(農村)にはあったということは、なるほどと思いますね。

多様な感性は多様な生活経験からしか生まれません。子どもや大人に「多様性(ダイバーシティ)」を求めるならば、それが許される、実践されている環境や日常でないと。

 

 

 

「副業力」染谷昌利(著)

友人Nさんに教わった本です。育休中のNさんはHPを手作りしてブログを継続して、副業の世界に一人で飛び込んでで成果を挙げられて、話す度会う度に物事が大きく進展していて、本当に素晴らしいなといつも思っています。

副業複業と言われますが、実際のところの踏み出し方(手軽でローリスクで始めやすい、注意事項も)が詳しく書かれていて一冊まるごと「なるほどーー!セオリーが分かる!」という感じでした。2020年12月の本なので情報も新しいほうだと思います、いま読んでも違和感は全くなかったです。