つれづれ味わい日記

都内で働く3男児母の備忘録。暇さえあれば本読んでます。

今週の読書記録(211212)

おはようございます☀

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どーーんとした写真は、私が最近行きつけているお店の天丼。古めかしく目立たない感じの店構えなのですが、リーズナブルで美味しくて、店員さんもさっぱりしてかつ気さくでいい人。結構賑わってます。

 

さて、今週は6冊です。

 

「これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン」太田啓子(著)

近所のママ友Eさんにお借りした本。3男児の母として、バイアスだらけのどういう社会で生きていくことになるのか、伝えるべきことは何なのか、どんな大人になってほしいか、考えさせられる一冊です。

「有害な男らしさ」と「ホモソーシャル」というキーワードを知れた、認識できたことが、私にとって一番の収穫です。「男らしさ」として当然視され、賞賛され、無自覚のように仕向けられる特性のなかに、暴力や性差別的なことにつながったり、自分自身を大切にできなくさせたりする「有害な」要素があるということ。「ホモソーシャル」とは「男のつきあい」「男どうしの友情」「男の絆」を指し、これ自体は悪ではないのですが暴走する(している)場面があるということ。「ホモソーシャル」な空気が無自覚に暴走し、無自覚に「有害な男らしさ」が誰かや自分を傷つけることになることは、知っておいたほうがいいです。大なり小なり、こういったことはありふれているはず。こちらで触れられていることによると、この特性の萌芽は幼児期にも見られるとのこと。子どもたちの主体に任せた活動をする、それ自体は保育の現場でも推奨されていることですが、その子どもたちが既にバイアスに染まっている可能性があります。その場合は然るべきフォロー、時に指摘が保育者や教育者には必要そうであります。

・モテよりマッチング(バレンタインチョコをいくつもらったか、それが大事なことじゃないと伝えたいと思いました。この慣習はそもそも誰得なのだろう、、?)

・男だろ、泣くんじゃない!という言葉がけはやっぱり悪。いまの社会で典型的なこういった男の子への接し方が、アフェクトフォビア(情動恐怖)を生む危険がある。アフェクトフォビアとは、自分や他者の感情にふれることを恐れて回避する状態のこと。自分自身を大切にできないだけでなく、他者の気持ちがわからない、コミュニケーションを避けたり途絶えさせたり、思考停止してしまうなど。

・「排除された者の明晰さ」という言葉、実験例を知る。差別構造の中の特権を持つ側の人が考えたり動いたほうが、状況は大きく変わりやすい。男性はいまの社会だと女性より恵まれた立場にいるはず。女性が声をあげることも大切ではあるが、女性だけに留めるのではなく男性も、被害を被っている側だけでなく加害側が動くようにはたらきかける、その意識も必要なのだろう。

・子どもたちをセクハラや性暴力の加害者にしないためには。①自分の体も他人の体も尊重する意識を育てる包括的性教育②性暴力がどれだけ人を傷つけるのかを知る③加害者的な発想の萌芽になりそうな表現へのリテラシーを持つこと

・「本能だから」で片付けられそうになることもあるが、そもそも人間社会では「性欲は本能ではなく文化」ということを知る。社会的につくられ、常識的に許されることになっていくことも大いにある。不変のものでなく、時代や社会とともに形や常識的なことや許容範囲が変わってきた事実がある。

小島慶子さんとの対談パートで。「怒りや憎しみを感じたとき、ほんとうの敵は誰なのか、ほんとうの原因がどこにあるかをじっくり考えてごらん」という言葉は意識したい。これは自分自身にも、子どもたちに対してもかけたい言葉である。

 

 

 

「おうち性教育はじめます 一番やさしい!防犯・SEX・命の伝え方」フクチマミ(著)、村瀬幸浩(著)

こちらもEさんにお借りしたもの。

以前のじまなみさんのご著書、「お母さん!学校では防犯もSEXも避妊も教えてくれませんよ!」も読んだのですが、結構重なるところがあるように感じました。

rmoryrim.hatenablog.com

 

漫画多めで読みやすく、ポイントも押さえられているので良書だと思いました。次男もまもなく3歳、ちゃんと伝えないとな、、と改めて身が引き締まる思いです。

 

 

 

 

 

「愛する勇気が湧いてくる本 自分を生かす大きな力に気づくために」遠藤周作(著)

これまでの遠藤周作さんのご著書の数々をもとに、愛に関する記述をテーマ別にピックアップした一冊です。深いものからクスリと笑えるものもあり、楽しんで読むことができました。死後の世界を想う「また、あの人にいつか会える」は章まるごと気に入ったのですが、それ以外に気に入った、気になった言葉を下記に残します。「沈黙」を読んでいるので「神でも仏でも、自分の心の中にそういうものが働いているかどうかが問題です。」の一文も印象に残っています。そして最も好きなのは終盤に書かれていたこちら。引用のトップに書き残したいと思います。「生き上手、死に上手」からの引用ということなので、読んでみたいですね。

我々の人生のどんな嫌な出来事や思い出すらも、ひとつとして無駄なものなどありはしない。無駄だったと思えるのは我々の勝手な判断なのであって、もし神というものがあるならば、神はその無駄とみえるものに、実は我々の人生のために役にたつ何かをかくしているのであり、それは無駄どころか、貴重なものを秘めているような気がする。

愛するとは状態ではなく創る行為です。

愛の第一原則は「捨てぬこと」です。人生が愉快で楽しいなら、人生には愛はいりません。人生が辛くみにくいからこそ、人生を捨てずにこれを生きようとするのが人生への愛です。だから自殺は愛の欠如だと言えます。

他人の人生のなかに忘れることができない痕跡を残すというのは、やはりこれは愛情だと思います。他人に痕跡を残す最大のものは愛情です。(中略)だから、やはり憎しみや怒りよりも、愛というもののほうがはるかにすばらしいのであり、人間が持っている何物にも代えがたい感情だと思わざるを得ません。

悪魔とは、きわ立ってはっきり見えません。ほこりみたいなものです。アンドレ・ジイドが言ってますが、悪魔なんて存在しないと人々に思わせるのが悪魔の一番の計略です。目に見えないほこりがいつの間にかたまって、部屋が汚れているのと同じように人の心の中で愛を失わせるものがどんどんたまっていく、それを悪魔の働きと言うのです。

私は子供の教育というものは、もちろんキビシクする時はキビシクするが、子供を犬や空地と結びつけ、ポカンとさせたり、空想にふけらせたり、夕暮の茜色の空に感動させたりすることだと思っている。

人生の本当の意味などが、若い時からわかっていれば、人生はもう生きてもつまらないものになる。それはちょうど、はじめから犯人が誰か、謎がとかれているような推理小説を読む気にもなれないのと同じなのである。

 

 

 

「1%の努力」ひろゆき(著)

友人のSさんとKさんにおすすめしてもらって、図書館で7ヶ月予約してようやく。「ダラダラ生きている」というひろゆきさんが考える「生きる秘訣」が詰まっています。

下記は特に参考になったと思います。経験やネタが豊富だと、言えることもその分豊かだと思いました。

「片手はつねに空けておけ」というのは、チャンスを逃さないために。

「やりたいけど、できない」「できるけど、やりたくない」の間を埋めるように「やりたいと思えて、かつ実行できるレベル」を目指そうとすること(これは努力だと思う)。

守るべきものを手放していくと、人は自由になれる。(裁判で追われた時、差し押さえられて困る資産がなかった。そのときの気付きだそう)

しゃべることが大事。言いにくい本音を言う、そして、間違っていたらちゃんと謝る。

「自由意志」を大きく扱いすぎていないか?生きていく上で、この自由意志が正常に機能すること(思うようになること)は思っているよりずっと小さいのではないだろうか。だからこそ、持ち場にいて戦略を立てること、かつ流れに抗わないことが重要なのだと思いました。

ヒマをヒマでなくす技術とは、小さな新しいことを積み重ねることである。私はこれ結構やっていますね。食べたことないお菓子を選ぶとか、ランニングコースはちょくちょく変える、その日の目標をアレンジするなと、あえてやっていることが多いです。ヒマにアレンジを加えることは、すなわちユーモアに繋がるような気がしました。「新しいこと」に、もっと意識を向けていきたいです(これも努力だと思う)。

 

 

 

「保育とは何か」近藤幹生(著)

近藤幹生さんの本は「保育の自由」を先に読んでいました。

rmoryrim.hatenablog.com

 

タイトル通り「保育とは何か」、現在(出版年は2014年です)の課題や保育所の社会的意義、変化が書かれています。

「子どもを社会で育てる」という意味は、保育園がこんな役割を果たす、ということだと思う。保育園は、安心できる地域を築く、現代社会の砦だといえるのではないか。

保育園の機能として、親たちの就労保障は欠かせない。その親たちの働きがあってこそ、日本社会の土台は、築かれていくからである。その意味で、保育という仕事は、おおげさではなく、社会そのものを形成しているのだと思う。

 

認可保育所が株式会社などにも開かれたものになったこと、認可外保育所についても多分触れられているのですが、気になるのは株式会社の参入や認可外保育所への懸念が大きいあまり、こういったものを良いものと見ていない、そんな印象を勝手ながら受けました。運営する法人格に関わらず、認可や認可外といったカテゴリに関わらず、いい保育を追究する保育所や保育者がどこにでもいることを願うばかりです。

 

子どもが、どう生きるかは、子ども自身の人生であり、自分で決めることだ。おとな(親)は、子どもに代わって生きることはできないが、援助する責任や義務はあるから、可能な限り、応援することができる。

保育や子育ては、人間対人間の営みであり、迷い、ぶつかり合いは、あって当然なことかもしれない。しかし、生あるかぎり、それぞれが選択している親子関係である。この関係は、迷いながら、一生、続いていくのである。

これは私も常々考えていること。私たちが家族を持ちたいと望んで生まれたきたわが子たちだけど、本人たちは生まれたくて生まれたわけではないのだよな…と、ふと思います。それでも彼らは生まれたときから彼らの人生を歩んでいるのであって、それは私の人生、夫の人生とも異なるもの。生んだ責任というか、彼らの人生を精一杯サポートし応援する責任や義務はあると思って、日々悩みながら迷いながら、育児をしています。

 

 

 

 

「働き方 完全無双」ひろゆき(著)

1%の努力を読んだら他も読みたくなって、いくつか追加予約。こちらは働き方(生き方)の裏技集という感じで、声を大にして言わない方がほとんどだろうが生きるためにやっている人はやっている、スレスレを攻める事例も含みます。

ひろゆきさんがいろいろなことを強く主張する根底には「地球の寿命が伸びたほうがいい」という思想があるそう。これは私も大きく賛同します。健康・経済・未来を考えるうえで、「自分個人の」ではなく「私たちの」「日本全体の」「地球としての」と考えると、見えてくることっていろいろ変わってくるなぁと。ひろゆきさんが特に強く提唱されているベーシックインカム案、これまで「はて、、?」という感じだったのですが「一理あるかも」に少し変わっています。

答えのない仕事は潔く諦める、なるべく早く手離れさせる、きっぱり決断できる力というのは仕事に関わらず必要だと思いました。積み重ねというのも大切ですが、岡本太郎さんが「自分の運命に楯を突け」で書かれていた「積み減らし」も大切な観点。コツコツ、少しずつ、できることから、小さな「積み重ね」はよく考えたり、言葉にしたりしていたのですが(今も)、本当に大事なものだけ残して、手放したり、手離れさせたり、敢えて諦めたりというマインドも、情報も機会も過多な現代、仕事も育児も家事もという自分には必要かもしれない。

人の見た目や成果物にその人の性格が表れるので、逆に、人を判断するときに便利な尺度になる、というのも納得。取るに足らない些細なことでも「なんか違和感」を抱いた人と疎遠になること、ありますよね。自戒を込めて、細部まで配慮する努力は怠らぬよう、いつでもきっと誰かが見ているということを改めて、見た目も態度も意識したいところです。ひろゆきさんが仰る通り笑顔と挨拶ができる人は損しないとも思うので、こちらも励行したいです。それからひろゆきさんの推奨する「連想睡眠法」、試したら本当にすぐ眠れました!鼻詰まり解消法も、その時がきたらやってみます。