つれづれ味わい日記

都内で働く3男児母の備忘録。暇さえあれば本読んでます。

今週の読書記録(211128)

おはようございます☀

毎日寒いですね〜朝起きるのが少し大変になってきました。温かい布団の魔力。。。

最近次男がひらがなに興味を持ち出したので、お風呂で使っているひらがな表をリビングに。長男が張り切ってレクチャーしています。

 

f:id:rmoryrim:20211128053106j:image

 

さて、今週は3冊です。

半落ち横山秀夫(著)

LinkedInでレコメンドいただきました横山秀夫さんの本!横山秀夫さんご著書は出口のない海と64を読んできました。

rmoryrim.hatenablog.com

rmoryrim.hatenablog.com

 

半落ち」も大変面白かったですね〜祝日に一気に読んでしまいました。平常運転モードでも穏やかに惹き込まれて(横山秀夫さんの表現力、改めてすごい)、最後の30ページくらいが特にすごいです。

 

 

 

 

「プロフェッショナルマネジャー」ハロルド・ジェニーン(著)、アルヴィン・モスコー(著)、田中融二(訳)、柳井正(解説)

リーダーシップを執る者(特に経営者)に対する指南書です。今の私には難解な箇所が多く、流し気味になってしまいましたがところどころ参考になる場所も。ファーストリテイリング柳井正さんの巻頭巻末の解説文は特に、じっくり拝読しました。

「できるところから小さく始める」のではなく、「大枠(ビジョン)を定めて逆算の意識で今すべきことをする」という考え方は、似ているようで全く違う。そちらのほうがより高確率でより速く、目指す場所にたどり着くのだと感じました。

ほんとうの事実とはどこにあるのか、乱用されているので要注意。「表面的な事実(一見事実と見える事柄)」「仮定的事実(事実と見なされていること)」「報告された事実(事実として報告されたこと)」「希望的事実(願わくば事実であってほしい事柄)」、経営決定の分野では決定的な重要性である。事実を客観的に眺めること。

「正確度に対する時間の逆比の法則」を知る。低い地位にあればあるほど自分の行動の拠りどころとなる事実を確かめるのに多くの時間をかけられるにもかかわらず、なかなかそうしない。地位が高まり、大きな責任を託されるようになればなるほど、事実をゆっくりチェックしている時間がなくなるにもかかわらず、そうすることはますます重要になる。

経営の核心といえるリーダーシップは天性でなく、学んで習得することができる。他の人びとを導き、奮い立たせる能力は、意図的なものというより本能的なものであり、各人の日常を通じて身にそなわるものであること。リーダー自身の内奥の人格と個性から出てくるものである。というと、仕事に限らずプライベートでも、主体的に考えているか、自分も誰かも導き、奮い立たせているか、前向きにどこかに向かっているか、といった日常的な、生活に対しての考え方が反映されそうである。

 

 

 

「科学者が人間であること」中村桂子(著)

ランニングと保育仲間のIさんから教わったもの。中村桂子さんの考え方、好きだなぁーと共感しながら読み進めていましたら、読んだことありました!こちらもお気に入りの一冊です。

 

rmoryrim.hatenablog.com

 

 

科学で知らないことがわかる、というのは素晴らしい前進である一方で、「全てが分かる」「いつも正しい」「安全や何かを保証してくれる」とするのは過信であること。そもそも、そんな完璧なものがこの世に存在するのでしょうか、、?日常的な感覚、本能的なものや直感的なものも、優劣つけず認めたいところ。この世に存在する全てのものに動きがあり、変化があり、その自然の中で私たちは生きているということ。そして科学する私たちも例外なく動く物、動物であるという事実を忘れてはいけません。生き物として、自律的に、日常を科学する目を持って生きる。こう書くと難しく聞こえるかもしれませんが、きっと日々私たちがごく自然にやっていることに、少しの意識を足すことで可能になるはずです。

生活と思想との変化のテンポが速くなり、変革スピードが凄まじいなかではあっても、洋の東西問わず、温故知新する意識を持っていたいところである。急速に発達した科学を悪者にせず、「科学はたしかに多くの問題点があるけれど、そこに蓄積された知を無視することはできない。科学を見直し、問題点を検討することで、科学を踏まえた新しい知を探索しよう」という道を選ぶのがいいのではないか?との提言がありました。原発事故に触れられていることが多いのですが、まさにこの通り、世界観の問い直しが必要だと思います。

研究活動が深くなればなるほど大局観を見失いやすく、自分も対象物も「生きている」という事実を忘れやすい。「死物」を対象にした研究活動に偏っている流れを危惧するところも共感します。作物を「対等の生きもの」として育てる、福島県の小学校での農業体験が例に挙げられていましたが、とても素晴らしいと思いました。科学ととても身近であるはずの自然、思想、日常をどれほど意識できるか。これは科学者に限らず、何らかの経済活動をする社会人にも言えるはずです。想像力と創造力は、どちらも非常に重要なもので、子どものときから育みたいものです。「モノ」で語るのではなく「動詞」で考える、というアイディア、意識はとてもいいですね。