つれづれ味わい日記

都内で働く3男児母の備忘録。暇さえあれば本読んでます。

今週の読書記録(200726)

こんにちは。

4連休も特に予定なしのわが家、東京はなかなかすっきり晴れないのでだいたい家におりました。

 

14ひきのシリーズが好きな長男がかぼちゃパイ、かぼちゃパイ言うのでリクエストに応えて作ってみたり。

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友人Iさんにレシピを教わり、今日のおやつは米粉オートミールのクッキー。美味しすぎて味見と称して焼き立てを食べすぎた…

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もちろんどちらも乳卵フリー、クッキーはさらにグルテンフリー。

 

大きなお出かけはできませんでしたが、楽しく過ごしております。

さて今週はこちらの4冊。

「「大学改革」という病 学問の自由・財政基盤・競争主義から検証する」山口裕之(著)

次男の産前、上司に勧められていたが読めていなかった本。今さらながら勉強として。日本の大学がいま置かれている立場や課題がよくわかる一冊。

特に興味深かったのは日本の子どもたちは国際学力比較で上位にランクインしている、ということ。2015年に実施されたPISAOECDによる学力到達度調査、15歳対象)で「科学的リテラシー」は72か国・地域のうち2位、「読解力」は7位、「数学的リテラシー」は5位、など。TIMSS(国際数学・理科教育動向調査)という同年行われた別の調査でも小4算数・中2数学は世界第5位、小4理科が3位、中2理科が2位と上位にトップ集団に位置している。

しかし、である。PISAによると2015年に「科学の楽しさ」について肯定的な回答をした子どもの割合は70か国・地域のうち67番め。「道具的な動機づけ」については63番め、「理科学習者としての自己効力感」については69番め、「広範な科学的トピックへの興味・関心」についてはデータを得られた56か国・地域のうち48番め。

2012年には数学についても同様のアンケートが実施されていて「数学の楽しさ」「道具的な動機づけ」「数学学習者としての自己効力感」について65か国・地域のうちそれぞれ60番め、64番め、63番め。

日本の子どもたちは科学や数学について「楽しい」とも「将来役に立つ」とも思っていない。成績は良いのに「自信はない」し「興味はない」。詰め込み教育である程度の水準は保っているがそこに心というか意欲があるか?というと寂しいことになっていると。学ぶ楽しさって、いつ、どこで、どうやって感じられるものなんでしょうかね。私は明確な解は持たないけど、やはり教える側の姿勢なのかなと思っています。身近な大人が前向きに学ぶ、向上する姿を見せているかどうか、机に座ってただ勉強しているかということじゃなくて、疑いながら試行錯誤繰り返すとか、議論するとか、目標や目的のために努力しているか、とか。

 

「下山の思想」五木寛之(著)

五木さんの文章は肩肘張らずに読める。

無理に明るくいる必要も、これ以上成長する必要もないと思わせてくれる、そして自分ではなかなか持てない視点から哲学的なことを話してくれるというか。下山がテーマということで、高度経済成長を終えた国は、また個人の人生は後半戦をどう過ごしたらよいのかを示唆しています。

迷うことばかり、真実がどこにあるかわからない世の中だからこそ実感を大事にする。

人間にわかっていることはほんの一部だと認識する。

この国は貧しく、同時に豊かである。白黒つけられることじゃない、これが真実ではないか。

人生という刑務所につながれている私たち、一見自由なようで生にしばられて生きている。せめて贅沢な郷愁くらい楽しもうじゃないか。

深い言葉の数々。

 

 

「私が総理大臣ならこうする 日本と世界の新世紀ビジョン」大西つねき(著)

れいわ新選組の一員ということは知っていて、「命の選別」騒動→除籍のニュースから一体何が起こったのかと一連の流れを知り私なりに考えていました。この本はその野次馬精神から借りて読んだもの。

 

今回の大西さんの主張とバッシングしている人のコメントを見て、思ったことを書かせていただくと、私自身は前後含めてのあの発言、謝罪会見を見て大西さんの主張にあまり違和感は感じませんでした。語弊を招く言葉のチョイスは良くなかったですが。

そもそも政治が日本中のあらゆる老若男女を救えるということに難しさを感じているのと、じゃあ誰を見て世の中考えたいか?どういう為政者を支持したいか?といったときに、私は若者世代(私たちも入れていいのか?気持ちとしては若者世代にちゃっかり入れてます)、未来を生きる子どもたちを優先したい。「今だけ金だけ自分だけ」はもうたくさん。

そしてこのコロナ、余りに若者や子どもたちを犠牲にしすぎているのではないかという実感があります。失われた時間、機会、経験の数々、大きさ、大人の私たちはまだ良いけど子どもにはもっと何かできないのか?と自分の子どもたちを見ていても思う。

あとは人間は自然を汚しながら生きていくことしかできないという認識、なるべく自然の摂理に従って生きたいと思う私の理想もあります(私自身の延命には否定的で、また食糧問題的な観点でも近い将来自分の寿命は自分で選択する時代が来るのかな、という気もしています。)。

 

こちらの著書を読んで感じたことは、経済理論から日本について、個人の生き方についての哲学まで、大西さんは広い見識から真剣にいろいろお考えになって今回のこともお話になったんじゃないかなということ。時は金なり、今だけ金だけ自分だけはもうやめよう、子どもの未来をできるだけ明るいものにしたい、という主張は一貫しています。

 

大西さんを過剰に叩いていた方々は、発言の本質や背景を考えた上でのご意見なのか、わかりませんが想像力が欠如している気がしました。もしくは選別している、されている、という認めたくない図星からの反発かもしれません。

いろいろ考えさせられるトピックでしたが、こちらの一冊はおすすめです。

 

 

ハンニバル(上)」トマス・ハリス(著)、高見浩(訳)

羊たちの沈黙」に続いて、あまり深く考えずストーリーを楽しんでおります。肉を食べない生活を選択している身としては、今回の登場人物やシーンでちょっと…なところもありますが、まあ物語なので。